担降りした後の話。
先に言っておきますね!!!
『別にまだ担降りはしてない!!』
あくまで仮定です、担降りしたらっていう。
私のブログをはじめて覗いてくださった方もいると思うので現状を。
・セクゾ→そろそろ潮時かな、5月のコンサートいって答えを出そう。
・エイト→好きでたまらないけど今の私の1番ではない、でも怖くて担降りはできない
・ジャニスト→好きで好きでたまらなくて全てを捧げて一生ついていきたい
こんな感じです。前の記事読んでもらえれば詳しくわかります^ ^
今回書くのは、
"もし私が関ジャニ∞を担降りしたら"
担降りブログを片っ端から読んでいるところです。数えきれないような数のブログを読んだけれど、担降りした後の元担について何も書いていない!そんな未練なく担降りできるものなの?!って思いました。
もし私が関ジャニ∞を担降りしたら。
今、この状態で、担降りをしたらきっと未練タラタラだろうな〜。
もし私がeighterを名乗らなくなって、お茶の間で関ジャニ∞を応援することになったら。
eighterでない自分が想像ができない。今までのジャニヲタ人生は関ジャニ∞中心に回ってたから。自分はもう担当ではないのに、他の人がeighterと名乗ってるのが辛くなる、羨ましい。ライブでメンバーがeighter!って言ってる中の1人に自分が入っていないことが苦しくてしょうがない、想像するだけで苦しい。ライブの最後に全員で手を繋いで叫ぶシーン、そこに自分がいないのが辛いし、輪の外でそれを眺めてる側の人間になるのが怖い。
私はジャニヲタ である以前にeighterであったから。関ジャニ∞を置いて他のグループに行く、それは私の中で関ジャニ∞との思い出を置いて行くのと同じことだ。別に思い出を捨てるわけじゃない、でも、いつまでもeighterであった数年間の思い出を鮮明に覚えてられる?新しい自担との思い出が増えてく一方で、eighterであった自分を忘れ思い出が曖昧になる時が来るのではないか。それが怖い。思い出を置いて行くのが怖い。eighterである自分を誇りに思っているし自信を持っている。その誇りや自信までもが一緒に失われるのが怖い。
私は掛け持ちをしてきた今日まで、セクガル、ジャス民と名乗ったことがない。自分の中で優先順位が変わろうと、その時の1番が関ジャニ∞でなかろうと、どんなときでもeighterと名乗ってきた。なぜかってそれが1番しっくりくるから。
やはりわたしは一生eighterをやめられないと思う。eighterでなくなるときはわたしがジャニヲタ でなくなるとき。今はそう思う。
もしかしたら不意に終わる瞬間があるかもしれないし、ないかもしれないけど。